昔、作ってみたローソク台……?

実用性よりデザインを優先する、というのは往々にしてよくある話だが、私の陶芸もそういう部分があった。
 
これを造ったのは確か96年の夏だったと思う。当時「ヨコハマ買い出し紀行」に傾倒していたのと、月刊Gun誌でコルト・キングコブラを使った実験レポートが載っていたからだ。「?」

私の伯母のひとりは、若い頃から陶芸が趣味で――確か85年夏頃から世紀末頃にかけて、だったと思うが、静岡市の某所に陶芸工房をかまえていた。
正確には仲間と共同で、古い養鶏小屋を借りて大型の電機窯や作品乾燥棚、電動ろくろ等を持ち込み、休みの日などにせっせと作品を作っていたのだ。
セミプロといっていいほどの腕前で、度々依頼を受けて作品を作っていたが、私も静岡に住んでいたころや、後に関西に転居してからも夏休みシーズン等、よく訪れていろいろ作品を作らせてもらった。一晩中窯を焚く時など、伯母が寝ずの番をしている横で、みんなで合宿みたいに泊まっていったものだ。
で、単に湯飲みとかを作るのではなく、例えばロボットとかを作ったりしたのだが――伯母の家には、私が作った“ナハハ”とか“のた魚”(言わずと知れた吾妻ひでおのアレだ)がまだ置いてあるはずだ。「コレ気に入った!」と自分のものにしてしまったのだ……造ったのは私なのに。
周囲は茶畑で、あまり人も来ない。ちょっと表通りから隔絶されたカンジで、十代の頃はよくここでモデルガンを発火させて遊んだものだ。マルシンのM92FSにハイパワー、M586&686、MGCのイングラムにM16、レミントンM31、GM5マキシコンポ……とにかく陶芸以外でも楽しかった。

で、これは元々、伯母の作ったローソク台に触発された部分も大きかったとは思うのだが……穴を開けるのに、確か東京マルイエアコッキングガン、H&K・P7M13を使ったのだ。
当時P7を買った理由は簡単だ。「ヨコハマ」のアルファさんの“鉄砲”、H&K・P7に触発されたのだが、当時素のままのP7は無く――というか製品化されたのは全てP7M13。MGCガスブローバックもマルゼンのカート式コッキングも絶版で、マルイのコッキングしか無かったのだが(^^;)。
んで、私が伯母の家に泊まったとき、たまたま持っていたGun誌の最新号。それを見た伯母が
「コレ、おらっちに教えてくりょーと持ってきてくれたっけ?」と指差したのは、キングコブラを使い、.357マグナム弾や.38スペシャル弾を使った破壊力テストで――それら各種弾薬を叩き込まれた粘土の固まりは、伯母の好奇心を大いにそそりそうなオブジェと化していた。

つまりは、粘土にBB弾(確かバイオ弾を使った)を叩き込んで、どんな面白い表現が出来るか? という試みの産物であり、あまり実用性とかは考えていない。「じゃローソク台にしようか」くらいのものである。
 
あれから十年以上が経過したが、未だにローソク台としては使用されず(ローソク使う機会も無いが)、伯母の作品に混じり、実家のサイドボードの住人として過ごしている。