「湾岸MIDNIGHT C1ランナー」1巻

クルママンガと聞いて、世間の皆様がパッと挙げるのは何だろうか……多分に世代的なものがあるだろうから何ともいえないが、現在最もメジャーな作品は? と問われれば、やはり「頭文字D」だろう。 
“走り屋漫画”として、そのバトルの過程と主人公の成長とをドラマティックに描きあげる。非常に判りやすく面白い。
 
しかし、私がより強く支持するのは、楠みちはる湾岸ミッドナイトのほうだ。

バトルの過程そのものより、そこに至るまでの過程をドラマティックに描く……というか、ひとつのバトルが長いエピソードとして続くのはいいとして、「D」は各話の展開がどこか間延びして感じられる、というか、「湾岸」は各話ごとにしっかりと“主張”を詰め込んでくる。
いわゆる「湾岸ポエム」というか……“言われてみれば、なぁ”と、どこか心に引っかかったりするものが、「湾岸」はより強い。 
藤原拓海も朝倉アキオも、同じ18歳の高校3年生だった、が、拓海は父親と二人暮らしで高校卒業して社会人となった。
対してアキオは、再婚した父の元から離れ一人暮らし。あまつさえZの修理や維持のためのバイトに明け暮れ留年。
社会的にはもちろん、おなじ19歳なのに……となろうが、同じ走り屋という「リスキーな事をしている」存在でも、その“リスキー”という部分が色濃く出ているアキオに、そして彼を取り巻く人間達のドラマ。ここに惹かれて止まないのだ、と私は思う。
 
「D」の場合、走り手や周囲の人物はそのバトル、というより“走ってる最中”のリスキーさは承知していても、バトルという“陽”の部分が強い。しかし社会通念において、バトルする自分達の立場自体がリスキーなものである、という“陰”の部分に触れられる事は滅多に無い。
対して、「湾岸」においては走り手も、チューナーも、はっきりと自分達がイリーガルな世界にいる事を知っている。それでいて、そこで生きるためのルールと言うものをしっかり持っている。そしてそこでしか得られないものを求める。どこかしら一歩引いて、陰も陽もある、という事をしっかり見せてくれる。
まあ、端的に言ってしまえば、「(自分には)真似できそうも無いスーパーテク」の応酬に、ともすれば浮かれがちになる「D」より、「クルマという機械そのものへの取り組み方」や「物の見方」を語ってくれる「湾岸」の方が、自分には合っていた、という事だろう。
ああ、あと、ハチロクよりS30の方が好きだ、ってのも勿論あるが。
 
さて、昨年9月頃から、アキオやブラックバードはフェードアウトして(その少し前からレイナが渡米したりして、確かに予兆はあったのかも知れないが……)、RGOの太田親娘や「FDマスター」荻島が引き続き登場する形で
湾岸ミッドナイト C1ランナー」

として連載がスタートした。
アキオたちがフェードアウトしたのは……勿論S30“悪魔のZ”という存在が、あまりに(連載当初と状況が変わりすぎ)無茶なものになった、というばかりでなく、アキオが成長しすぎてしまった……というか、狂言回しというには“主人公として存在が薄くなってしまった”からではないのか?という気がする。だから……「C1」で仕切りなおして、改めて「無印」(と便宜上呼ぶ)で語り足りない部分を書き続けよう、となったのだろう、と思う。
もしかしたら、荻島というキャラがよすぎて「コイツをメインに据えて描きたい」とか、いつの間にか未完状態になっている「TOKYOブローカー」あたりのエッセンスを詰め込みたい、とか、案外シャコタン☆ブギ的なやりとりを描きたい、というのもあったのかも知れないが。(ノブとエリのやりとりは、どこかしらアキラとオジョーのそれをほうふつとさせる様な気も)

ともあれ、やけに1巻が出るのが遅かったナァ! とは思うけれど、いざこうやって読み返してみると……、
極初期のノブって、やっぱアホ要素強すぎだ。というかここまでアホだったっけ?
 
ノブのFDは、今後どんどん進化していくだろう、が……その時、荻島FDとの比較は避けられないだろうし、エンジン本体やエアロはともかく、ボディそのものに関しては高木あたりが再登場するのだろうか? 
ところで、マッドドッグ佐藤って一見温厚そうだけど、突如「イタイのうコラア」とか乱闘に参加しそうな気がしてならないんでスが。