明後日は静岡ホビーショー一般公開日。である。

なんだろう、色々考える事が多くて、素直に楽しめない気がする。

 

 

今日は帰宅途中にスーパーによって買物、精算済ませて出ると、やたら色気を放つセダンが――あ、アルファロメオのジュリアQV、しかもLHD。という事はあの並行6MTだな。

 

で、帰宅してみれば自動車税の通知が来ていた。

私のアルファ159は2006年登録なので13年経過――げんなりしながら開封すると、増額にはなってない。そうか、「H18 3/31以降」来年からか。

 

……カードで分納にしようか真剣に考えている。いや現金一括で払えないことはないけど地味に堪えるのだ。

 

 

とりあえず、土曜はタミヤ本社に朝イチで直行。さすがに1/12エンツォを――とは言わないが、フェラーリ関連と1/35MM、1/48MMメインでいくつかおさえて。

ああでも塗装ブースのフィルターもいいかげん替えないとねえ……?

 

セガワやアオシマも気になるアイテムはあるし、クラウン・ローマンの噂も気になる(実車可能な量産試作が出るまで信じないが)し。

 

 

平成を彩ったコミック・ラノベに見る個人の記憶――「東京爆発娘」

ガンアクションと美少女の組み合わせを得意とする漫画家としてつとに有名なのが、

伊藤

 

明弘か伸平かでその趣味が判る、というのはあまりにローディスト的な言い回しだろうか。

 

 

伊藤明弘は90年代以降のガンアクションを語るうえでかかせない存在だが、伊藤伸平も派手ではないが「語りたい」と思わせるガンアクションを描く作家である。

 

ソフトな絵柄、青年誌的というより少年誌寄りかな、という雰囲気だけど、「エンゼル・ハート」(北条司のほうではない)や「エンジェル・アタック」に見られる殺伐とした展開にドキドキする。

以前にも語ったかもしれないが、やはり「学園キノ」のコミカライズは、伊藤伸平に依頼すべきだったのだ。。

 

 

頻発する国際テロから海外邦人を守るための「特命コマンド」として活動する晶少佐――の娘、晶(アキラ)真理子を狙うテロリスト達。セルフディフェンス術を父親に叩き込まれた女子高生アキラと、彼女をガードするため“担任教師”として派遣された内閣調査室の小暮静江、警視庁公安部の半田刑事とタコ口の相方。

冷戦構造がどうにか終結するかしらん、したかしらん? という時代(出版は角川書店だが掲載は89年頃の漫画サンデーって……)の作品だが、「武装JK」という言葉もない時代、シリアスとコメディのちょうどいいバランス(単に銃を持った女子高生なら、それ以前にもいたはずだ)が楽しかったのだ。

――というか、私の持ってるのは色々加筆修正された角川ドラゴンJr.版で、それ以前に富士見版があったのか。

 

平成を彩ったコミック・ラノベに見る個人の記憶――「特捜サイコップ」

いやその、十代の頃はそんなにコミックスとか色々買う事も出来ず。

高校に入ったら、昼食代の500円をちょいと浮かして(確か一番安いきつねうどんで200円しなかったはずだ)、という小手先も出来たが。

 

だから古本屋とかはありがたかったのだ。

 

 

 

そしてブックオフの台頭があるわけだが、少なくとも90年代末くらいまでは割とフツーに見かけたタイトルである。

 

松本久志「特捜サイコップ」全2巻。

 

犯罪を支援する秘密組織「クライムギルド」の脅威に対抗すべく、警視庁の仁科警視が編成した特殊チーム「サイコップ」。

仁科本家に呼び出された分家の若者、というか高校中退の忍者&漫画家志望のサイボーグ、吸血美女、処刑され秘術で善の魂を持ち蘇生したヤクザ。

仁科家の姉妹二人をくわえたホームコメディとしての要素を交えながら、クライムギルドとのいい塩梅にバカバカしい死闘が未だにお気に入りの一作でございます。

平成を彩ったコミック・ラノベに見る個人の記憶――「蓬莱学園」シリーズ

平成ヒトケタを彩ったコミック作品の一つが「なあばす」だが、同じ時代を彩ったラノベ作品として「蓬莱学園」シリーズにも言及しておきたい。

 

遊演体」のネットゲーム、といっても今でいうインターネットを利用したゲームでは無く、郵政公社の郵便ネットワーク(まだインターネットなどなかった、少なくとも勃興期だ)を介したいわゆる「プレイ・バイ・メイル」であり、プレイヤーは1年間の期間限定で、遊演体の提示した世界観において自分のキャラを行動させるのだ。

自キャラの行動を各ブロックのゲームマスターあてに郵送し、その行動結果が小説形式で返送されてくる。

 

それに対する自キャラの次の行動を郵送し――これを一年間繰り返すのである。

 

まあ、私はN(ネットゲーム)95「鋼鉄の虹」とN96「こうもり城へようこそ!」にしか参加していないのだが……思えば「鉄虹」はファンロードに六鹿文彦氏による広告が載らなければやらなかっただろう。あと「こうもり城」って、確か中村哲也氏の商業デビューだったような気もするのだが。

 

ともかく「蓬莱学園」は、生憎とN90「蓬莱学園の冒険!」も、半年間限定のNS94「蓬莱学園の休日」も未参加である。しかし「鉄虹」参加の余波として、当時まだ元気であった「蓬莱閥」の熱気にあてられたというか、関連書籍が多く出ていたのが大きかった。

N90以降の学園生活を描いた――ゲームのグランドマスター柳川房彦氏――、新城十馬(現・新城カズマ)氏による本編(と仮称する)や、後に「フルメタル・パニック!」で一躍名を馳せた賀東招二氏や、……あー、その、非常に強烈な、うん、ラブコメを、おフレンチな書院から出版した事で知られる、雑破業氏などの執筆陣による短編集など、「鉄虹」や「こうもり城」とは離れた部分で、その世界観に魅せられたのだ。

 

先頃の「氷室の天地」で、

「汝がルールを作ってしまえ! 汝が利するルールを相手に押しつけてしまえ!」

と氷室さんは説いた。いやそのなんとなく連想しただけだが、現代(平成初期当時)の日本でありながら、自由な世界を提示した――「生徒総数十万人の巨大学園」

 

その自由な(しかしぐだぐだではない)世界観の中で活動する、自由なキャラクターたちに、魅せられたのだ。

 

本の学校社会からドロップアウトし、事実上追放されながらも「初恋」という行動理念に突き動かされ、周囲を混乱に陥れながらも「初恋の少女」に向かって突っ走る新入生、朝比奈純一。

何よりも秩序を重んじる公安委員にして、純一の暴走に引きずり回されながらも自分の役割を果たそうとする「悪運(バッドラック)ベッキィ」ベアトリス・香沼。

闇カジノ対決から端を発した学園の大混乱、一度は獄に繋がれながらもその博才で捲土重来を果たした天才ギャンブラー、ソーニャ・ヴレーミェヴナ・枯野と、彼女と真っ向から対決を挑む――しかし自身の複雑な立場が更に混乱を呼ぶ令嬢、野々宮雪乃。

女子寮を占拠したテロリストに単身立ち向かわざるを得なくなった(しかも人質そっちのけで)、悪名高いカメラ小僧(というか女子寮不法侵入の常習犯)、三宅八郎

 

ここ十年以上読み返していないし(もしかして二十年くらいか?)、いま読み返したら――あの頃の魔法が解けてしまうのではないか、という恐れすらある。

しかし、「規律と混沌が共存する自由な世界観」はいまだに憧れで、「蓬莱学閥」ではないが、その魅力を後世に伝えたいとは思う。

 

かつて「蓬莱学園の革命! 1」を求め、京都四条の「ブックストア談」(いつの間にか閉店していたのだな……)を訪れた際、

「すいません、富士見ファンタジア文庫の」

「すいませーん! 『スレイヤーズ』は延期なんですよー」

以来、スレイヤーズは未読のままである。

 

 

「なあばす」における平成ヒトケタ

「なあばす」はたがみよしひさ作品としてはかなりの長期連載であり、途中で安堂と京子の結婚、平九郎の引退、更に三輪のかつての登山仲間・松崎未来(みき)の恋愛スタートという大転換。更に美弥の恋愛展開(大体トラブル)と、平九郎のかつての部下であったベテラン刑事・岩切のセミレギュラー化がマンネリ化を防いだ。

 

連載初期はだいたい公衆電話で連絡していたのが、後半では「嫌な機械が普及したよな……」とぼやく岩切にみられるように、携帯電話が当たり前になっていく。

しかし「圏外」も当たり前の時代だった。

 

喫煙シーンもフツーにあるし(夜勤中の医師が自席でスパスパ)、京子の妊娠・出産も「高齢出産」呼ばわり(当時で30そこらのはずだ)――そもそも第一話で平九郎が「安堂と三輪のどっちが」と言ってる時点でまだ23.4くらいか。

 

 

……12巻の帯を見ると「Windows版スクリーンセイバーも好評発売中!」とある。

そもそもスクリーンセーバーなんてものがあるなんて事をすっかり忘れていたよ。

 

 

約9年の連載期間の間にキャラクターたちは加齢、というか成長し、

 

……なんか「ヲタクに恋は難しい」のキャラクターたちが脳裏に登場したぞ。

容貌や性格的には

安堂≠宏嵩

三輪≠樺倉

京子≠小柳

美弥≠成海

みたいな感じだろうか。(個人の感想である)

 

 

それはさておき、安堂はそこかしこにオンナのいる知性派ゲロ吐き男から、いつの間にか妻と義父(マスオさん状態だ)と、そして息子を大事にするマイホーム名探偵になった。

京子は父の病と過去を知り、遂に自分の気持ちに向き合い「父の娘」から「アレな亭主の女房」ポジに移行。会社と家庭とを問わず実質的ボスとして君臨していく。

平九郎は自らの病と老い、そして過去の因縁を受け入れ、「隠居爺さん」ポジから周囲を見守っていく。

(岩切刑事の過去を知っていてフツーに友達づきあいをする田沼・安堂家というのもなかなかすごいが)

三輪は脳筋なのはともかく、女性に対して誠実なのはそのままに、自分の恋愛をきちんと育てていく方向に進んでいった。

美弥は失恋(だいたい安堂のせい、というのはどうかとは思うが)を重ねながら、世俗の垢にまみれつつ「大富豪の孫」というだけのポジから一人の自立した女性になっていった。

 

三輪の恋人、未来も三輪との関係を育てつつ、京子不在の事務所をサポートするという存在感を見せ――岩切刑事の場合、既に成長というか老成した状態での登場で、「兵九郎の後輩」というより「安堂の年の離れた親友」となっていった。

(後半から続編的な「ないちる」において、安堂は事実上警視庁捜査一課の嘱託状態である)

 

さーっと読み直してみると、「昭和から平成」への社会構造の変化を感じる、と言ったら大げさだが、平成世代にこの作品の面白さを判ってもらえるだろうか、と不安になるのである。

平成を彩ったコミック・ラノベに見る個人の記憶――「ぶれいくだうん」

(昨日より続く)

 

矢久我邦武、いや薬学に長け、そのあまりの虚弱体質(ただしベッドの女性相手は除く)に反した天才的推理力を誇る安堂と、その旧友で元警官のラリースト、筋肉派ハードボイルド男の三輪。

更に80年代末の時点でパソコンを使いこなす(ウィンドウズ.95でインターネットが当たり前になるずっと以前である)メガネビューティー、田沼京子。

その父親で元・刑事(新米のうちにあんな経験をしたらなあ……「怖い人」にもなるか)の変なじーさんにして所長、田沼平九郎。

物語は安堂がバラバラ死体を発見し、そして女子高生・稲葉美弥が調査依頼したことから始まる――。

 

「財界の鉄魔人」の孫娘である(金はあるが常識が怪しい)美弥が高校卒業後に事務所の一員となり(進学しろとか揉めなかったのだろうか?)、安堂を巡って京子とライバルに。馬鹿ではあるが基本ストイックな三輪と安堂のやりとりも楽しく(そもそも行動派である三輪がいなければ話が回らない)、そこに所長が入ることで時にガス抜き時に急展開。

 

……第一話の時点で、まだ安堂ちゃんとと三輪ちん、京子って、二十代半ば(前半か)なんだよなぁ。

当時の彼らほどに大人になったという気がしない……。美弥はその子供さ加減をカバーする財力があるからなあ。

 

まあそれはともかく、読み返すと「時代だなあ」と思う部分は多々。

 

バーベルで筋トレ中の三輪に美弥が「ソウルをめざせばよかったのに」(88年五輪)とか、依頼人が「ディスコのお立ち台から落ちて足をネンザしたの」とか。

アフタースキー(死語か?)で「踊ろっかカセットあるし」(既にCDはあったが、CD-Rに編集はなかったか……いやそもそもネットも普及してない時代だ)とか、

美弥の見合い相手の御曹司が「ソアラランクルの二台持ち」(911メルセデスのGでないあたりが、地に着いた金持ち感を感じる)とか、

「去年の夏は涼しかったんだっけ」「今年がここまで暑くなると判ってたら」(93年冷夏と94年猛暑)とか、

ニュース速報で「はたまたインコか」(一連のオウム事件の後だ)とか。

 

金持ちキャラである美弥を配した事で、零細探偵社である田沼事務所の活躍を時に大きく広げる(バブルがはじけたといっても、今よりもっと景気は良かった気がする)余地があり……そして単なる金持ちおバカ娘でなく、写真技術(当然、デジカメなぞ無く銀塩である)のエキスパートというのもポイント高かった。

 

(続く)