メチャ安サイトーの閉店

以前にも書いた気がするし、これからも折に触れて書くと思う。
祖母が生前、こんなことを言っていた。

「子供には貧乏させちゃいけないよ」



別に金銭的に贅沢させろ、というコトではなく、
いいものに触れる機会を奪ってはいけない、というコトだ。


たとえばそれは料理――や、食材、食器――であったり、
玩具であったり、文具であったり、衣類であったり、
もしかしたら旅行――でなくても、非日常に触れる体験であったり。

……考えてみると、我が家は昔から別に裕福ではなかったにせよ、何気にちょっとお洒落なもの、超高級品ではないにせよ、作りのよさを感じるものが意外とそこかしこにあった気がする。

大人になって身の回りのものを自分であれこれ揃えようとすると――なんてこった、普段使いのボールペンは「ちゃんと書ける」以外の点で、所有欲を満たしてはくれない事が判明した。

ボールペンに限った事ではないんだけど。

先日も書いたが、静岡市のランドマーク、あるいは歴史的アイコンの一つであった、
メチャ安のサイトーが本日閉店となった。

これまでも、気になる品は色々あるのだけど――あったのだけど、いざ買うにはディスカウント価格とはいえ躊躇する金額だった。

なまじ、贅沢品というか――「火急の必要性がある品物」ではなかった事もあり、財布の紐は固くならざるを得なかった。

実際、久しぶりに入店すると……ディスカウント価格から更に30パーoffでは厳しく、50パーになってもまだ厳しく、というものが多くてね。

だから先日、カランダッシュ849を買ったけど、他に何か……欲しいものはあっても、いざ買うには、と悩んで――けれど、最後の様子は見ておきたい、という気にはなった。

で、今日は仕事帰りに、ちょっと遠回りして呉服町スクランブル方面へ。
たまたま信号待ちで、店の前でストップしたら――店員さんが“最終日”と書いた大きな団扇を手に、よく通る声で呼ばわっていた。

私は帰宅して夕食を終えると、ルイガノ・シャッセに乗り、閉店に間に合うかどうか――走った。
だから、そう、あの店員氏が、信号待ちしていた左ハンのアルファ159のドライバーに向かって呼ばなかったら、
私はそのまま帰宅して、そのままだったろう。

本当に、単に元々が安いのだ、というものもあったにせよ、
静岡市民に高級なもの、所有し、使用する喜びを得られるものを広めようとしてきた、という一点において、
静岡の歴史に名を留める“名店”のひとつだった、というのは確かだと思う。



私の母は、ここで二十代の頃に買った――という事は四十年近く前になるか――ダンヒルの腕時計を未だに愛用している

確かに私が子供のころから、母の腕に光っていた(他にも持っているが)時計である。
しかし未だに機能し、そして古さというか飽きを感じさせない。

なるほど母は(けして当時裕福ではなかったにせよ)長年大事にできるものを選んだということで、いい買い物をしたわけだ。

……そんな事を、店の人に伝えておけばよかったな、と思うが、それを思い出したのは店を去ってからだ。

最後に私は、マグライトのソリテールを1本買った。
ケースや付属品無しで、1470円→半額の所をさらに引いて500円にしてくれたが、定価からするとほぼ7割引きというところか?
バッグに入れておいて、いざという時の備えにしよう。こういうものがいずれ自分を助けてくれる、と信じて。

いいものを持つ、という事は、ささやかであれ自分の誇りとなって、心の支えになる、というのはありきたりな感想かも知れないが、
ありきたりな安物で、誇りを手に入れるのは難しいよね。

ところで、長くなったが一つ。
ガーゴイルのサングラスは最後まで結局売れずじまいだったみたいだけど――いずれ誰かの手に渡るのだろうか。

この個体がいずれ何らかの形で再び販売されるなら――ぜひ欲しい、同一モデルでなくこの個体そのものを。

最後に。

私の購入したカランダッシュ849とソリテール、
そして母のダンヒルを並べてみた。

これからも時を刻み、言葉を記し、光を放ち、人生の(ささやかであれ)支えとなる、いい買い物ができた、と信じたい。