「コップクラフト」と賀東招二の思い出。

交流はふおん(ダメ亭主)の嫁だと思うけど、ふおんはむしろ夕センセの愛人だと思うんだうわ何を(殴打)

最近、エロイカ話ばっかりだったし、ちょっと他の方向へ。

現在住んでいる県は、正直なとこどこをどうつついても完全な田舎なので(アパートの場所自体は県庁まで徒歩20分、県下随一の繁華街に程近い)、本が発売日に入荷しない……というか、そもそも入荷するかどうか、というあたりから心配しなければならない。
つーか、昨年2月頃の“ツエルブ・ショック”(と私は呼んでいる)は酷かった……。唯一入荷したアニメイトで、よもやまさかのフライング発売。メディアワークスの対応にも「現状把握しとるのかっ!」と激怒。「書店から注文してください」と言うが、“版元品切れ”となってるコミックスをどうやって注文できると言うのか。結局メディアワークスの直接通販で買えたが。 

で、ここんとこ買った本なぞ。
コップクラフト賀東招二 小学館ガガガ文庫

 
賀東作品とくれば、大抵の人は「フルメタル・パニック!」を思い出すだろう。しかし私の場合、ブラザー・ガトーとの出会いはそれより以前、確か94年の秋頃だったと思う。
当時、私はゲーム企画会社“遊演体”の運営するネットゲーム95「鋼鉄の虹」に参加しており、その広報誌でコラムを連載していたのが賀東招二だった。当時はMGC製グロックが愛銃だったらしいな……。
ネットゲームといっても、この時代のそれはいわゆる“PBM(プレイ・バイ・メイル)”というやつだった。
企画団体である遊演体の提示する、約1年間程の期間限定で展開されるゲームで、当時はインターネットなぞ無い(少なくとも一般的でない)時代であり、郵便によるネットワークを用いてプレイする。
プレイヤーは自分のキャラを作成しエントリー。自分のキャラを投入するエリアを選択し、キャラのとる行動を書いて遊演体に郵送する。翌月には“リプライ”――自分のキャラが行動した結果が、そのエリアの展開を担当するゲームマスターによる小説という形式で返送されてくる。といっても、必ずしも自分のキャラが登場してるとは限らないんだけどね。
で、それを読んで更に翌月のプレイを検討、遊演体に送り――というやりとりを、1年間にわたって続けるのだ。その間、他のプレイヤーとも手紙をやりとりして(住所公開したくなければ、遊演体による手紙転送サービスもあった)、プレイの幅を広げていくのだ。
 
で、当時の賀東招二は、このゲーム自体には直接関与していなかったものの、ゲーム界で一時代を築いたとも言える同社のタイトル、南海に浮かぶ孤島の、生徒総数10万人の巨大学園を舞台にした蓬莱学園」シリーズに大きく関与していた。
私は生憎と、ネットゲーム90「蓬莱学園の冒険!」と、同94「蓬莱学園の休日!」には参加していないし、よってそこから展開した世界に(一ファンとしても)参加することは出来なかった。(「鋼鉄の虹」と、続く96「こうもり城へようこそ!」は参加していた)
それでも富士見ファンタジア文庫から発売されていた、新城十馬(現・新城カズマ)による小説版や、ソフトバンククリエイティブから出ていた解説本などは買い漁って読んだ。――確か、数人の作家による蓬莱学園短編集「弁天女子寮攻防戦」。この表題作が、はじめて読んだ氏の小説である。(続く)