……数日前だったか、マーティン・スコセッシ監督のインタビューがNHKで流れていた。
近日公開の「沈黙」についてだ。
正直、スコセッシ監督の映画は「タクシードライバー」と「ユゴーの奇妙な冒険」「ヒューゴの不思議な発明」しか見てないのだが。
……見に行くべきなんだろうなあ、と思いつつ、
そのインタビューを聴いていたのだけど、
彼はトランプ(その時点でまだ次期)大統領と分断するアメリカ、そして世界のヘイトについて
「知らないことから恐怖が生まれる。現代には寛容の精神が足りない」
といった事を語っていた、と思う。
(酒飲みながら聞いてたので曖昧だ、すまない)
知らない(知ろうともしない)から、
恐怖が生まれるというのは事実だろうし、
互いを認め許容し合う寛容の精神が足りない、
というのも確かだろう。
しかして、
知っている(知ったつもりになっている)が故に、
怒りや義憤と言ったものが生まれ、、
それにより、異なる他者を許容できない……ああ、こうだ。
「知ってるから憎悪する、許容は許されない」
というのが現状ではないのか。
相容れない相手であっても、どこかで折り合いをつけなくてはいけない部分というのは、あって、
なおかつ、その裏付けになる知識はどこまで正しいのか? とか、考えるときりがない事ではあるのだけれど。
ただ一つ言えることは、
我が家に関して言うと、
朝からロシアのニュースが流れると、
「いかにロシアが卑怯な国であったか」
と刺々しいトーンで毒づく父の声を聴くのは、
朝食を美味くする役には立たないという事である。