「チコタンの幽霊人」

連想がおかしな方向に行く、というのはよくある話。


某所のおバカな質問を目にして、ふと「チコタン」を思い出す。


私がその曲を聴いたのは80年代、小学校の頃に他の学年だったかの合唱を聴いたのが最初だった。幸か不幸か自分(達)できちんと歌唱(合唱)したことはない。


静岡の小学校だったので、関西弁は耳慣れず、
「チコタン殺したの誰や!」
と連呼されちゃうと、その刺激的なフレーズにビビるんだよ……。
再放送の「じゃりン子チエ」見てるのとは違うんだぜ。


それと前後して、私が夢中になって――何度も図書館から借りて読んだ児童向けSFがあった。

瀬川昌男「チタンの幽霊人」である。

チタンの幽霊人 (少年少女21世紀のSF 1)

チタンの幽霊人 (少年少女21世紀のSF 1)


"1980年代の交通の主力、エアカーだ"

とか書いてあって、さすがに当時としても内容の古さはあったけど、なんたって「幽霊人」とか、その正体がサイボーグであるとか、ワクワクだったのさ。


……衝撃の作品でもあったけどね。


なにが衝撃だったか、と問われれば、サイボーグが理想の存在ではない、という事だった。


サイボーグといえば、当時の自分にとっては「サイボーグ009」の00ナンバーサイボーグたちであり、歴代仮面ライダー(「BLACK」が始まるしばらく前だ)であった。

「生身の身体を失った」とはいっても、その超人的な能力を生かして世界の平和を守り、そして普段は一般人と変わらない生活を送っている。


だからこそ、「チタンの幽霊人」における描写は衝撃的だった。

特殊なスーツで覆われた、原子力駆動の身体は、食事や呼吸の必要もない。極寒のチタン(木星の衛星タイタン)で秘密の活動に従事するために改造されたその身体は、人間であることの楽しみや喜びを捨て去った身体である。

読者に近い立場であるはずの、チタン開拓隊の子供からは、憧れよりも一種の憐みや恐れすら抱かれている。


ラストで、サイボーグたちがどうなるのか――単純なハッピーエンドとはいかなかったわけだが、それでも、00ナンバーやライダーよりは幸せなのかもしれない、いや、どうだろうか。



ともかくも、この二つが合体すると……。



名作がえらくトンチキな事になったなあ。



チコタンが実はサイボーグとして生きていて、どんどん更なるバッドエンドに突っ走ってるような展開しか思いつかん。