マニア様がキテる ――メガロ刑事(11/11)

かくて、長い事続けた「メガロ刑事」だが……ほんとはこんなに長くストーリーとか書かずに、見所とかをサラッと書くだけのつもりだったんだけどなぁ。
1巻表紙(2巻の表紙はボロボロに破けてしまい紛失)



優秀ではあるがはみ出し者の暴力刑事が、管轄の壁を超えて凶悪犯罪に挑む――。ありがち、かも知れないが、やはりこういうストーリーと設定は心躍る。
おしむらくは――“広域捜査”というわりに、「広域凶悪犯罪か? それ」というエピソードが混じっているのが気になる。
例えば第5話「SM殺人事件」の様に、現場が東京で被害者の住所が千葉、というだけなら警視庁から千葉県警に捜査協力依頼をする、とか、県警に話を通して捜査員を派遣すればいいだけじゃないかい?
また、人情刑事的エピソードを描きたかったのか、第7話「時効への逃亡者」にしても――時効寸前の殺人犯が潜伏中、というタレコミがあったなら、やはり警視庁から派遣すればいいだけじゃないのか?

やはりこの作品のツボは、見城の上司たる江本の存在にあろう。

エリートである上司と暴力刑事の組合せ、としては、例えば「ドーベルマン刑事」における西谷警視と加納、「ワイルド7」における草波検事とワイルド隊員、TVドラマだったら「西部警察」の木暮課長と大門軍団あたりが挙げられるだろうが、江本と見城の関係は彼らといささか異なる。
西谷の場合、加納の優秀さを認めながらも、その過激な行動に対するマスコミや市民からの非難に頭を悩ませ続けていた。
しかしストーリーが進むにつれ、加納の内面にある優しさや行動理念を理解し、やがて二人は信頼しあえるパートナーとなっていく。加納や宮武の行動をただ諌めるだけでなく、彼らの捜査手腕でなければ解決しない事件もある、と認めていくのだ。
草波の場合、まず「法で裁けぬ悪は抹殺すべし」「悪党には悪党を」の理念があり、そのための“猟犬”あるいは“道具”として飛葉たちをスカウトしてきた。
確かに“ココナッツゲーム”を皮切りに、部下に対する非情な振る舞いは多々あれど、それでも隊員たちとの間に信頼はあった。ここぞという場面でのフォローや、時折覗かせる人間的な一面――それ故に最終編“魔像の十字路”の展開は衝撃的だったのだが……。
木暮課長と大門軍団に至っては、しっかり家族的、というか……大門達を叱責するのは係長任せで、むしろ部下達のフォローに奔走していたように思う。

では、江本と見城の関係は、といえば……。江本にしてみれば見城は仇である。
親代わりとして大切に育ててきた妹が、始末書の山を築いてきた警視庁きってのはみだし刑事と同棲をはじめた。
挙句、その刑事に恨みを持つ男に、事件の巻き添えで殺されてしまった。
見城のために最愛の妹は死んだ! ……それを逆恨みだとは判っていても、その死を願わずにいられない。
同時に、一人の警察幹部として凶悪犯罪検挙に熱意を燃やし、そしてそのために手段を選ばない。というよりむしろその「手段」として、見城の優秀さに信頼をおき、凶悪犯検挙の切り札と認めている。負と正の二つの感情は相反することなく、見城を死地へと向かわせる。
無論見城も、最愛の女を自分のために死なせた辛さと負い目を背負い、そしてその兄からの憎悪を受け止め――死に場所を探し続けている。
二人をつなぐものは男同士の信頼とか友情といったものではない、最愛の存在の死に起因する絶望と怒りのみ。そして兄の復讐と若者の贖罪の、一年におよぶ二人旅が続くのだ。
見城が息絶え、まるで憑き物が落ちたかのような江本。それまでと一転した沈痛な表情に、いささかの違和感を感じずにはいられない――それを“許し”と言いきるには、見城に対する感情の変化を描くには、いささか展開が速すぎたきらいはある。
しかしそれでも、この作品は未だにお気に入りのクライムドラマである。――いずれタナカのM19コンバットマグナムを手に入れて、再び見城の気分にひたりたいものだ。
田辺作品は「戦国自衛隊」以外の作品が再刊される事が少ないように思う。「蒼茫の大地、滅ぶ」とか「滅びの笛」等が数年前にコンビニのペーパーバックで再刊された事はあったが、「メガロ刑事」や「いれずみ刑事」、「白(デッドヒート)熱」などは期待したものの再刊されずじまいだった。多分もうその機会はないと思うが……。
あ、「白熱」に関しては、田中光二の原作小説がモーターマガジン社のムック「GTroman STRADALE」に現在再録連載中である。田辺劇画版で読んだのとは結構細部のディティールが違うナァ、と思いつつ、毎号楽しみに読んでいるのだが……これも完結したら再刊されないだろうか? と期待している。